処刑道具として有名な『ギロチン』は庶民の娯楽だった。
先日読んだ「お金2.0」という本の中で、「ギロチンは庶民の娯楽だった」という気になる一文を見つけました。
あの残酷なギロチンが娯楽の1つだと言われると、ちょっと混乱しますよね?
なので今回はこの処刑道具の「ギロチン」と、
「ギロチンが娯楽になってしまう人間の心理」についてお話します。
Contents
処刑道具の『ギロチン』とはどんなもの?
ギロチンは主にヨーロッパ、フランスを中心に処刑道具として使用されていました。
2本の柱の間に吊るした刃を落とし、柱の間に寝かせた罪人の首を切断するという、『斬首刑の執行装置』です。
ちなみにギロチンが使用される前は、
- 平民⇒絞首刑(罪人の首にロープを巻いて吊るす)
- 貴族⇒斬首刑(罪人の首を死刑執行人が刃物等で切断する)
というのが一般的な処刑道具でした。
(それに加えて「車裂きの刑」という恐ろしい刑も存在していました。)
晒し刑でもあった絞首刑とは違い、
苦しむことなく首を刎ねられる斬首刑は本来貴族にのみ許された「名誉刑」だった
とも言われています(=゚ω゚)ノ
処刑道具のギロチンが開発された『理由』
当時の斬首には斧や刀が使われていたため、死刑執行人が未熟な場合には一撃で斬首できず、
囚人の首に何度も斬りつけるなど残酷な光景が展開されてしまう
という大問題がありました(/ω\)ヒエー
そしてさらに1788年にはフランス革命前の不穏な雰囲気の中、
「車裂きの刑の公開処刑の場で、民衆が無実を叫ぶ死刑囚に同調して罪人を逃がし、処刑台を破壊する」
という事件が起こってしまったのです。
なのでこの2つ問題をきっかけに、
- 「残酷な刑に替わる、苦痛を伴わない処刑法」を求める『世論』の流れ
- 「熟練した技量の高い死刑執行人を雇わないことでコスト削減したい」という死刑を『執行する側』の考え
という2つの考えが生まれました。
そうした世間、行政の双方の思いから、
受刑者に無駄な苦痛を与えず、しかも身分や貧富に関係せずに名誉ある斬首の刑が適用できる、人道的な処刑装置「ギロチン」が開発されたのです。
ちなみにギロチンが登場するまでフランスには、160人の死刑執行人と、3,400人の助手が存在していました。
それに対しギロチンの導入後、死刑執行人は減少の一途を辿ります。
その結果、1870年11月には『1人の執行人』と『5人の助手』が、フランス全土の処刑を一手に担うようになったと言われています。
処刑道具のギロチンが「娯楽」に変わる人間の心理とは?
なぜギロチンという処刑道具が「娯楽」に変わったのでしょうか?
2つの理由が原因だと考えられます。
1、処刑道具のギロチンに対する『イメージの変化』
以前までの処刑方法(絞首、斬首、車裂き)には、『罪人が長く苦しみ、残虐な光景が目に余る』という問題がありました。
なので庶民からも「やり過ぎだ!」と反発されることがあったのです。
しかしギロチンは一見残酷なイメージとは対照的に、
- 以前までの処刑法と比較すると受刑者に無駄な苦痛を与えない。
- 身分や貧富の差を公平に扱う、人道的な死刑装置として認識されている。
- 死刑執行の儀式自体が約20分ほどで終わる。
という点から、世間の「処刑=残酷」というイメージが無くなり、
処刑という今までの『暗い・ネガティブな印象』を大きく変えるきっかけになりました。
2、ギロチンで処刑される罪人=『悪』という分かりやすさ
自分は我慢しているのに、我慢しないで好き放題悪いことしているひとを見たら…
腹が立ちますよね?
今まで散々好き放題やって、たくさん迷惑かけていたひとがようやく捕まったら…。
素直に嬉しいですよね?(;^ω^)笑
そんな「悪い人は裁かれるべき」という道徳的な感情と、庶民から見た貴族に対しての「羨ましさ、憎い」といった嫉妬の感情が混ざり合ったことで、
ギロチンという処刑が庶民の「憂さ晴らし」「娯楽」へと変化していきました。
驚くべきはギロチンによる公開処刑が有名になると、ギロチンのミニチュアが玩具として販売されるようになり、
子供たちが捕まえてきた生きた鳥やネズミの首を切り落として、『遊んでいた』という記録があったということです。
今では考えられないことですが、当時は本当に不満や鬱憤を晴らす娯楽の1つとして「ギロチン」が世間に浸透していたんですね…。
処刑道具のギロチンが『娯楽』になったのは、現代にも受け継がれる「憂さ晴らし」
実はフランスでは死刑制度自体が廃止される1981年9月まで、ギロチンは現役で稼動していました。
それ以降は各国で死刑制度自体が廃止されたり、電気椅子や薬物等の方法が増えたため「ギロチン」は姿を消します。
しかし処刑道具は消えても、
人間の不満を吐き出すために「悪」を探し出し、吊し上げて裁くという行為は消えてはいません。
ネット上で特定の人物を不特定多数の匿名で叩くネット私刑(リンチ)や、政治家や芸能人のプライベートを執拗に攻め立てるマスコミの過剰な報道(もしくは偏向報道)は後を絶ちません。
【まとめ】処刑道具を娯楽にする人間の恐ろしい「残虐性」は、誰にでも潜んでいる。
ギロチンは罪人を裁く処刑道具である一方で、「生贄を差し出すことで世間の不満を一時的に鎮める」という『政治的な利用』も背景にはありました。
人間はその他の動物よりも知恵があるため、良くも悪くも『今の自分がいる環境を守るため』に色々と考えて行動し、文明を繁栄させてきました。
その過程で「拷問」や「処刑」などの、現代では考えられない行為も平然と行っています。
しかし今生きているこの時代が平和なだけで、長い過去の歴史から見ると、異常なのは「平和ボケしている現代の私たち」なのかも知れませんね…。
猟奇的な事件が日々起きてしまうように、人間は誰しも「残虐な一面」を持っているということは忘れてはいけませんね。